えごまの歴史

えごまとは?

 

えごまの原産地はインド高地より中国雲南省の高地と推定され、ここから中国、韓国、日本に入ったといわれ1万年~5500年前の縄文時代から日本人に作られ食べ伝えられてきました。

5500年前の遺跡7カ所からは、えごまが出土しているようです(福井県三方町の鳥浜遺跡、長野県諏訪市の荒神山遺跡等)。その事からえごまは日本最古の油脂植物といえます。

 

えごまが油として使われるようになったのは今から千年以上前、貞観元年(859年)8月23日、離宮八幡宮で長木(ながき)という道具が発明され、荏胡麻(えごま)の種子から大山崎神宮宮司が油をしぼったことに始まり、えごまの搾油が盛んにおこなわれるようになったようです。

 

 

この場所は嵯峨天皇の離宮があった事から離宮八幡宮とよばれるようになりました。平安時代初期(859-877年)に清和天皇の勅命により九州にあった宇佐八幡宮が山城国(京都)の大山崎に遷宮されたとの事です。

 

 

また、えごま油は食用の他、灯籠や提灯の燃料としてまた傘や雨合羽、さらに建築家具の塗装としても用いられ、戦国時代(1500-1568年)では美濃(岐阜)城主斎藤道三が若いころ、えごま油の行商人として財をなしたとつたえられています。

 

そして鎌倉時代から徳川幕府中期までの800年間、日本はエゴマ油の全盛時代でしたが、江戸時代後期に、なたね油が広がり、えごまを作る人が少なくなりました。

また明治に入ると満州(中国東北地方)や朝鮮からの安いえごまの輸入品に国内生産は激滅し、今では福島県、岩手県、岐阜県、宮城県などの一部に自家用伝統食として残るだけとなりました。

福島県などの一部地方ではエゴマの事を「食べると十年長生きできる」という謂れからジュウネンと 呼ばれています。